テンくんのショー関連のインスタ訳です。(長めのものだけですが。)
ロシアのスケーター、セルゲイ・ヴォロノフが、デニスがプロデュースしたフリープログラムで≪デニスの友達≫メモリアルアイスショーに出演します。
セルゲイは新シーズンのフリープログラムのための振付師を探していました。
≪これは自然な決定でした。僕はフリープログラムを作る必要がありました。そして僕は何か新しくていつもとは違うものを探していました。僕はインスタグラムを開き、デニスが投稿したストーリーを見ました。そしてそれからこう考えました。「どうして彼に手紙を書いていないんだろう?」≫
彼はデニスと連絡を取りました。デニスはヴォロノフからプログラムの手伝いを頼まれたことに驚いていました。
≪彼はこう言いました。「僕は全てを台無しにすることができるよ。」これに僕は疑いもなくこう答えました。「そんなことはないよ、デニス。君は何も台無しになんてしない。」これはご機嫌取りではなく、僕は実際確信していました。≫
セルゲイは既に選んでいた曲を持ってカザフスタンにやって来ましたが、デニスはカレオの≪Way Down We Go≫を使うことを提案しました。
≪僕は違うものを提案したんですけど、彼は僕の意見を変えさせました。僕はこのことを彼に感謝しています。本当に残念なことですが、僕は今、彼に手紙を書いたり電話をしたりしてこう伝えることができません。「デニス、君は正しかった。」と。僕たちは興味深く創造的な話し合いをしました。僕は屈して、そして今、それが正しかったと理解しています。彼は音楽を研究していて、全て彼の好みに合うように作られました。僕は誰か他の人にもっと良いものが作れたなんて夢にも思いません。
正直に言うと、今、僕がこのプログラムを滑っているとき、僕には無数の想いが沸き起こってきます。何よりもまず音楽のこと…。いくつかの決まった歌詞があり、それを理解する時、人生には何らかの運命があることもまた理解できます。僕は、僕をデニスのところへ導き、僕に彼と仕事をする可能性を与えてくれた自分の運命にただ感謝しています。≫
セルゲイはデニスがプログラムを作った唯一のスケーターです。
≪残念ながら、彼は僕のためだけしか作ることができませんでした。≫
エレーナ・ボドレゾワ(ブイアノワ)がデニスの追悼のためと≪デニスの友達≫メモリアルアイスショーにゲスト出演するためにカザフスタンを訪れます。
2003年、エレーナ・ゲルマノヴナはある試合でデニスを目に留め、モスクワに彼を招きました。そこで彼は彼女のグループで7年間練習しました。
≪デニスは驚くべき才能のある人です。こういう人はそうは生まれてきません。彼はスポーツだけでなく、人生において才能豊かな人でした。とても多方面の才能がある人。彼は子供の頃からスターの素質を持っていましたが、それを開花させるのは大変でした。しかし彼は天才でした。凡人は自ら道を開くが、天才には助けが必要と言われているように。
私たちは、カザフスタン出身のこんな男の子がいるということを世界に分かって欲しいといつも思っていました。彼はロシアのために滑るように提案されましたが、私は彼のコーチとして反対でした。なぜなら彼のような人たちは自分の故郷のために演じなければならないからです。結果として彼はソチのメダルを獲得しました。これは彼の仕事の成果となりました。
小さなダイヤモンドが大きなチャンピオンに成長しました。≫
偉大なソビエト、そしてロシアのコーチ、タチアナ・アナトリエヴナ・タラソワが、自分の生徒の追悼と、≪デニスの友達≫メモリアルアイスショーにゲスト出演するため、デニスの故郷を訪れます。
≪偉大な男の子。彼はこの国だけで生きたかったんです。この国だけを有名にしたかったんです。彼は自分の故郷を有名にしました。彼の演技全てと彼の生き方全てを見た数多くの人々が、地図でカザフスタンを探しました。この国の場所を皆が知っていたわけではありませんでしたが、彼のおかげで全ての人々が知ることができました。カザフ国民の偉大な息子です。こんな唯一無二の人を育ててくれたことをご両親に感謝します。彼と練習することや彼の困難な事を助けることは上手く行きました。私には多くの生徒がいましたが、彼は一番です。
彼は自分のやっている競技への愛に満ちていたので、子供の頃から競技のことをよく理解していて、練習でとても多くのことを得ることができた人です。彼は最高な人たちの中でも最高でした。彼はほんの子供の頃から唯一無二の若者でした。彼には2度繰り返す必要がありませんでした。彼が大きな氷の上に一番最初に出てきた時から、彼がやったことの全てが競技場を高揚させました。ロサンゼルスの人たちは、この男の子がどこから来たのか知りませんでしたが、彼はすぐにトップ10に入り、その後トップ4に入りました。競技場の観客は跳び上がって立ち、彼の演技の後、座りたがりませんでした。
無限の才能を持った稀有な人。≫
親愛なるタチアナ・アナトリエヴナ、私たちはあなたのご健康を願っています。そして私たちのデニスの故郷であなたをお待ちしています。
DT 2
ダイスとデニスがアイスショー≪デニス&フレンズ:オリンピックエネルギー≫で演じたナンバーはまさにこう名付けられました。
友情、ダイスとデニスの本当の友情が最後に勝利する独創的なバトルでこのナンバーは披露されました。
2018年7月1日、デニスはとても喜んでいた大輔のフィギュアスケートへの復帰についてのニュースを発表しました。
大輔はアルマトイを自分の友達デニスの追悼のために一周忌で訪れます。残念ながら彼はメモリアルアイスショーへの出演は叶いませんでした。
ダイス、本当の友情とデニスの追悼への暖かい態度をありがとう。
デニスの故郷は全てのデニスの友達とファンのためにいつも開かれています。
p.s 本当の友達は招待状は必要ありません。
ダイスというと村上くんの方を思い出しちゃいますが、そう呼ばれてるんですね。
すぐには難しいけど、私もいつかカザフに行きたいな。