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テンくんの追悼イベントについての記事

tengrinews.kz


フィギュアスケートのスターたちがデニス・テンが亡くなった場所にやって来た

アルマトイで亡くなったフィギュアスケーター、デニス・テンの追悼イベントが行われました。Tengrinews.kzの特派員が伝えます。

デニスの一周忌で、クルマンガジー通りとバイセイトヴァ通りの悲しみで有名な交差点へ、オリンピックメダリストに追悼の意を捧げるために花やぬいぐるみを持った人々が訪れています。その中にはフィギュアスケートのスターたちもいます。2010年の冬季オリンピック銀メダリストの日本人、浅田真央。5度の全日本チャンピオンで2010年のオリンピック銅メダリスト、髙橋大輔。2015年と2016年のヨーロッパ選手権銀メダリストのロシア人、エレーナ・ラジオノワ。世界選手権で3度メダルを獲得しているカナダ人スケーターのケイトリン・ウィーバーとアンドリュー・ポジェ。

デニス・テンの記念碑にやって来た人々は、亡くなったチャンピオンの思い出を語り合いました。

例えば、彼が21歳の時、アイスショーで集めたお金を全て白血病の子供たちに寄付し、それから地震で被災した人たちを助けたことなど。

「つい最近、私たちはデニスを追悼する家族の集まりに出席しました。 そこには多くの客が来ていました。ソビエトの伝説的なスターたち、カナダ、アメリカ、ヨーロッパから来たスケーターたち。彼はスポーツ選手以上の人でした。彼は自身のアイスショーの設立者でありプロデューサーでもありました。そのショーは現在、政府の支援を受け、家族が続けています。

デニスはいつも自分のために新しい頂上を決めていました。そして、スポーツ、チャリティー、あるいは自身が作曲した歌を歌うなど、いつもあらゆることで成功を収めていました。彼の早過ぎる旅立ちは、カザフスタン人全てが感じた痛みです。」と、アルマトイの副市長、エルジャン・ババクマロフが言いました。

7月20日、アルマトイでデニス・テンの追悼アイスショーが行われ、そこで客たちにスケーターの詩集が贈られます。このことについてもババクマロフが語っています。

「アイスショーは、彼が自分で自分のために創り上げたある種の記念碑でもあります。」と、副市長はまとめました。

「デニスは我が国の若いアスリートたちが目指すお手本です。多くの人々が、カザフスタンはフィギュアスケートで結果を出せる国ではないと言っているとしても、もし努力すれば素晴らしい結果を得ることが出来るということを彼らは理解しました。彼の練習はいつも大きなショーのようでした。私たちは彼がどんなに才能を持っているのかをいつも分かっていましたが、今、そのことを特に強く感じています。なぜなら私たちは彼がいなくてこんなにも寂しいのですから。深い意味と哲学的な考えを持つあんな思慮深いプログラムを演じられるのは彼だけでした。」と、フィギュアスケート、カザフスタンチームのヘッドコーチ、クラライ・ウズロヴァは言っています。

追悼集会が終わる頃に、出席者はデニスの母親に気が付きました。彼女は発言はしませんでした。ただ息子の写真の側に数分間たたずみ、去って行きました。