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ちょっと昔のことを色々語るガチンスキーコーチ

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アルトゥール・ガチンスキー:タラソワのところに移籍を決めた時、酒浸りだった。正気に戻ったのは4、5日後

彼は第二のエフゲニー・プルシェンコと呼ばれ、その後アレクセイ・ヤグディンの足跡をたどりましたが、結局自分の才能を開花させることはできませんでした。アルトゥール・ガチンスキー自身が、≪fontanka≫のフランクなインタビューで告白しているように、得体の知れない怪我、遊び、そして恋愛が邪魔をしました。

ガチくん

アルトゥール・ガチンスキーは、かつて最も将来有望なロシアのスケーターと考えられていました。2007年、13歳のアルトゥールはシニアのロシア選手権に参加し、彼に合わせてルールさえ変更されました。彼はプルシェンコとヤグディンのチャンピオンの伝統を受け継ぐことを期待されていましたが、そうはいきませんでした。現在彼がスケートのコーチとして働いている≪ユビレイニー≫でアルトゥールと会いました。

- アルトゥール、2012~2016年のあなたについてのニュースを見たら、氷上のライバルたちよりも、個人的な悪魔のようなもの、健康や絶えず壊れていたスケート靴の問題と闘っていたように思えます。どうしてあなたにそういったことが起こったか考えてみたことはありますか?

- 考えましたよ。怪我は怪我です。これはどうしようもない。怪我は今もなお僕に声をかけてきます。他のことについては…判断力と愚かさ。僕は面倒なことを始めるよりも、よそから正当性を見つけようとしましたが、最も正しい方法は、自分の間違いを認めること、僕が正しくないということ、僕が何か間違っていること、僕がどこかで言うことをきいていないことを認めることです。このことを描写する一番簡単なことわざは、「下手なダンサーは靴まで邪魔をする」(「弘法筆を選ばず」的な)ですね。だからこれはすべてばかさと愚かさのせいなんです。

- あなたについての古いニュースや資料から引用していくので、あなたがそれにコメントする、こんな感じでインタビューを続けましょう。

- やってみましょう。

- 2012年4月。≪ガチンスキーを打ち砕いた危機は、彼を、シェフィールドで行われたヨーロッパ選手権でプルシェンコと対等に戦った人間から(注:ガチンスキーはプルシェンコに次いで銀メダルを獲得した。)その後まもなくニースで行われた世界選手権の不幸な敗者に変えた。(注:ガチンスキーは18位。)≫これらの試合の間の期間は3カ月です。これほど短い期間で何があなたに起こったんですか?

- 僕はあなたに自分の間違いを認める必要があると言ったばかりなのでそのまま言います。たぶん僕はあの時星を捕まえたと思います。額で星が輝いていて、そのせいで僕は自分を失ってしまった。より正確に僕は説明できません。なぜならあの時は完全に愚かだったので。何が僕をやる気にさせていたのか、何をやっていたのかを説明することさえできません。

- 具体的には何に現れましたか?

- アレクセイ・ニコラエヴィチと言い争うようになりました。たぶんこれは年齢のせいもあったと思います。わがままになり始めました。行き詰まる原因となったバカなケンカをしました。僕もそこから抜け出すことができなかったし、アレクセイ・ニコラエヴィチもどう扱えばよいかわかりませんでした。今は僕の立場ではこれは正しくなかったと理解しています。時々アスリートはある頂点に達し、自分をクールなスターだと考え始めてしまいます。この時立ち止まると、他の人たちに追いつかれ、そして追い越されてしまいます。

- アレクセイ・ヤグディンはオリンピックで勝利した後、ペテルブルクに戻り、2週間飲みまくったと言っていました。あなたもそうだったんですか?

- そうしないなんてできますか?18歳、自分を大人だと感じたくなります。遊びたいしクラブにも行きたい。隠すようなことはないです。全部やりました。僕はこれが間違っていたとは言えません。遊んでも遊ばなくても、規則を破っても破らなくても、結果を残すためには大した問題ではありません。大事なのは、具体的な目標、どんな状況でも行う具体的な課題を持って練習しなければならないということです。明確な目標があれば遊んでも問題ありません。

- 二日酔いで練習に行ったことはありますか?

- そういうことはありませんでしたが、バカなことはやりました。練習に来て怠けて間に合わせの練習をしたり。時々寝過ごしてウォーミングアップしないこともありました。そういうあらゆる低レベルなことをしました。≪あー、まあいいや。≫と思って。一度そう考えてしまうと2度目もあり、その後、長年かけて身に付けたものを全て失い始めてしまいます。

- 2012年11月。ミーシン:≪ガチンスキーに出された医者の診断は神経の緊張と免疫系の衰弱。≫これは個人的な問題が原因ですか?それともただ肉体的に不調だったんですか?

- 正直に言うと、何度も医者に行ったので、その時は誰を信じ、誰の言うことを聞けばいいのかさえわかりませんでした。背中に問題がありました。他のことは説明できません。なぜあの時そういうことが自分に起こったのかわかりません。確かに言われたような何か個人的な問題が原因だったのかもしれません。そのことについては考えていませんでした。自分の心、多くの力と神経を奪った恋愛で忙しかった。もしある人にとことん惚れ込んだら、僕はとても強くその人のこと気に掛けるでしょう。

- 2013年2月。ミーシン:≪アルトゥールは、私が考えているように、自分の心情、善と悪の概念を十分理解しなければならない。≫アレクセイ・ニコラエヴィチはこの時何のことを言っているんですか?

- おそらくその質問は本人にした方が良いです。推測しかできません。あの頃僕の所には手当たり次第に多くの敵意が集まっていて、僕は巻き込まれていました。今はもうコーチの観点から話すことができます。子供たちが成長して大人になる時期が始まると、笑って楽しんでいる日もあれば、ふさぎ込んでいる日もあります。そしてその子に何が起きているのかわかりません。何か全く当たり障りのないことを言っても、それを聞いてふくれっ面になります。すぐにその子のナンバー1の敵になることができます。アレクセイ・ニコラエヴィチはおそらくそのことを話しているのだと思います。

- ちょうどそれぐらいに、あなたとカタリナ・ゲルボルト(注:ミーシンの元生徒で、現在モスクワでコーチをしている)がかなり苦しい関係だったと書かれていましたね。そしてまるでそのせいであなたの成績が落ちたかのように。

- もう一度同じことを繰り返して言いますが、全部何でも恨むことができます。雪が降り、気分が悪くなった。車で煽られ、不機嫌になってリンクにやって来た。同じように全ての原因をカーチャ・ゲルボルトに押し付けることはできますが、それは男がやることではありません。あの時、フィギュアスケートは実際に後回しになっていました。僕は恋愛をしていました。そしてそれは、他の誰かの、カーチャ・ゲルボルトの間違いではなく僕の個人的な間違いでした。僕は実際にやらなければならないことを忘れていました。僕は選択し、それは間違いだったと判明したんです。

- 彼女があなたを振り、それがあなたの大きな痛手となったと言われていますが。

- いいえ。僕たちは二人で別れることに決めました。

- 今は彼女とつきあいはありますか?

- 僕たちは同じ業界で働いています。彼女はモスクワで、僕はペテルブルクでコーチをしています。同じ試合にも行きます。単に仕事仲間としてとても落ち着いたつきあいはあります。

- 2014年、あなたはミーシンの元を離れ、モスクワのタチアナ・タラソワの所に移籍しました。ヤグディンはその決意をした後、一晩中泣いたと言っていました。あなたはどんな風に過ごしましたか?

- 勇気を出して正直に言うと、失敗したロシア選手権の後、荒れていました。モスクワに行くと決めた時、僕は本当に酒浸りでした。4、5日後にやっと正気に戻りました。これはもうやり過ぎだと気付きました。無事にその状態から抜け出し、自分の人生を根本的に変えてみるためにモスクワに引っ越しました。でも今は、環境を変えるのではなくて、自分自身が変わる必要があったということはわかっています。

- ミーシンはこれにどんな反応でしたか?

- 正直わかりません。僕たちはそのことについて話したことがないので。

- 2014年3月。ミーシン:≪ガチンスキーはプルシェンコに嫉妬していた。≫そうだったんですか?

- それぞれのアスリートがみんな嫉妬しています。僕が今教えている生徒たちでさえ。一人に構って何かを言うと、他の子は嫉妬し始めます。しないわけないでしょう?僕も嫉妬していましたが、良いものだったと思っています。もちろん、はたから見ている方がよくわかったでしょうけど。

- プルシェンコとの比較はあなたの競技人生を通して続きました。あなたのことを彼の≪クローン≫と呼ぶ人さえいました。腹が立ちましたか?

- 小さいころは嬉しかったです。ジェーニャはいつも僕のアイドルでした。彼の試合を口を開けて観ていました。その後、どうでもよくなりました。

- 2014年の8月に、あなたは完全に別の人間になったと言っていました。今はこれは少し言い過ぎだったのではないかと思いますが。

- なるべく議論はしません。あの時僕は、どんな風に他の人たちが練習しているのか、どんな風にタチアナ・アナトリエヴナ(注:タラソワ)が自分の疲れ、痛み、悪い状態に勝たせてくれるのかがわかったんです。彼女は時々僕を押し付け、叫び、怒鳴りつけ、時々何か品のないことを言うこともありました。これはかなりの衝撃でした。その時僕は本当に変えられました。

- 2014年11月。タラソワ:≪私はアルトゥールを助けようとしていて、できることは全てやっています。試合に出ると、彼の心理状態は狂ってしまいます。≫つまり、あなたは移籍したけれど何も変わらなかったんですか?

- 言ったように、自分からは逃げられません。何しろ全て頭の中に原因があったんですから。僕は試合に出ると途方に暮れました。具体的に何が原因だったのかはわかりません。練習では僕は全て跳べていました。4回転サルコウ、トウループ、ループ。でも試合ではできなかった。

- 2016年に、あなたは結局引退することにしました。理由の一つは腕の怪我でした。あなたは壊れたドアについての不思議な話をしていましたね。

- 部屋の間にガラスのドアがありました。あまりしっかりしたものではありませんでした。僕はモスクワで、豪華な家具のないとても質素なアパートを借りていました。なんとかお金を節約する必要がありました。ある時、ドアを叩くのに失敗してガラスが割れました。僕は破片を集め始め、ドアのフレームに残っていた別の破片が腕に落ちてきました。この破片が僕の腕に残ったんです。

- なんとなく想像するのが難しいです。

- 不幸な状況が重なりました。しばらく病院に行きました。手術を受け、破片を取って縫ってもらいました。それから僕はあまりにも多くの時間を失いました。二週間ギプスを付け、さらに二週間はギプスなしで。この期間全てのことについて相当よく考えました。背中の古傷のことも考えました。これのせいで最大限に練習ができませんでした。それに、現在フィギュアスケートの世界はとても大きく前進しているという認識もありました。4回転トウループやサルコウでは誰も驚きません。6位や7位になるために試合に出ることは時間の浪費です。トップになるためには4回転ルッツ、ループ、それかネイサン・チェン(注:2度の世界選手権チャンピオン、オリンピック銅メダリスト)が見せたように、フリーで全ての4回転を跳ぶ必要があります。そういうレベルで演技するには健康でなければなりません。健康でなければ実現不可能な夢になってしまいます。そして唯一の正しい選択が引退だったんです。

- でも、やはり氷に惹かれますか?

- それぞれの選手にとって演技することは麻薬みたいなものです。アレクセイ・ニコラエヴィチが言っているように、サーカスの年老いた馬みたいなものです。ファンファーレと太鼓を打つ音を聞くと、蹄を鳴らし始める。そうする以外どうしたらいいんですか?氷に出て、観客から発生するものすごいエネルギーを感じ、内部から炎が燃え上がる。これを手放すのはとても難しいことです。引退後しばらくは最も苦しい時期です。あの気持ちを何度も何度も経験したい。試合は純粋な喜びです。

- そして2017年。あなたは復帰を発表しました。

- これは突発的な事でした。僕は氷が恋しかった。その時、療養していて、自分に力を感じました。僕は再びトレーニングし、それに多くの力を費やしたかったんです。これは再び背中の怪我のせいで終わってしまいました。その時僕はやっと健康ではないことを理解できました。この後、僕はコーチの仕事に没頭しました。今は、これがなければとても辛いだろうと思えるくらい、完全にこの仕事に没頭しています。僕はコーチすること、自分の経験を伝えることが好きです。自分の生徒たちが自分がやってきた間違いを犯さないように教えています。彼らには全て上手くいって欲しい、彼らがここで過ごしている時間が、役立つことをして過ごした、おそらく彼らの人生で一番楽しい時間になって欲しいととても思っています。

- ミーシンのところに戻ったきっかけは何ですか?

- それはとても単純な理由です。モスクワで暮らすには、アパートを借りなければなりませんでした。自分の家はモスクワにはありません。これは微妙な違いの一つでした。それからある時、モスクワで何をするんだろう?と考えました。ペテルブルクには家があり、助ける必要がある母がいます。それでモスクワを離れました。

- まず、アレクセイ・ニコラエヴィチに電話したんですか?

- いいえ。ペテルブルクに着いてから4日目くらいに、母が僕に電話をしてきて、アレクセイ・ニコラエヴィチに電話するようにと言いました。最初は笑って≪なんで?≫と聞いたんですが、≪いいから電話しなさい。≫と言われ、電話しました。アレクセイ・ニコラエヴィチは自分と働くことを提案してくれました。次の日、≪ユビレイニー≫で会い、ゆっくり歩き、その時全てを見せてもらいました。15分くらい彼のオフィスで話し、ここで働くことになりました。

僕は14~15歳の子の小さなグループを持っていて、そのグループの生徒たちといつも練習しています。スポーツマスター候補は、ソーニャ・マロース、エヴァ・コブザーリ、セミョーン・ソロヴィヨフ、ニコライ・ロギノフです。ソーニャは最近、サンクトペテルブルクのロシアカップで3位になり、シズラニのロシアカップでは4位になりました。僕と彼女は半年しか一緒に練習していません。だから、僕たちの練習の成果はまだあまり現れていません。あと、アレクセイ・ニコラエヴィチがいないときは、休憩時間に他のスケーターも手伝っています。ずっと氷の上にいて、ずっとそばにいて、もし僕の助けが必要なら、僕はいつでも助ける準備はできています。

- 過去の無礼については話さないんですか?

- 話しません。全て終わったことだと思っています。僕はそうです。今は既に別の方法で、僕とアレクセイ・ニコラエヴィチの間にあったあの状態全てを見ています。アレクセイ・ニコラエヴィチにはとても感謝しています。なぜなら彼は僕に働く機会をくれたんですから。話していて過去のことについてはほのめかすことさえありませんでした。彼はただこう言いました。≪これがうちの労働条件だ。≫それから、子供のグループを受け持つことを彼はただ説明しました。僕が自分で責任を持つことになるグループです。彼はすぐに良い給料は期待しないように警告しました。僕は期待しませんでした。唯一要求したかったのは昇進の可能性についてでした。彼はあると答えてくれ、僕たちは手を握って契約を結びました。

 

聞き手:アルチョム・クズィミン

≪fontanka.ru≫


ガチくん、まだまだ競技で観ていたい選手だったので、今からでもまた復帰を…と、ちらっと願っていましたけど、コーチの仕事が充実しているようなので、それはそれで良かったです😌

練習では色んな4回転跳んでるのも見たし、試合で力が出し切れなかったのが本当に残念。最近のロシア男子は能力はあるのに出し切れない選手が多すぎて…昔のロシア男子の最強メンタルはどこにいってしまったんだろうかとよく思いますけど、海を越えてネイサンのところにいっちゃったのかな…🤭

コリャダくんも早く良くなってね!🙏 

そして、明日はJOだー楽しみ!😃🎶