ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

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ミーシン先生の本より、プルのこと3

のつづきです。


人間

 おそらく、これほど長い期間、一人のスケーターと働いたコーチは世界に一人もいないでしょう。ジェーニャ・プルシェンコと私はこの長い期間、同じスポーツの道を歩んできました。20年以上の間、私たちは肩を並べて働いてきました。様々なフィギュアスケートの試合で、ファンは、得点発表の瞬間に涙にむせびながらコーチと生徒が抱き合っている様子、指導者が自分の生徒に国の連盟のシンボルが付いたジャケットを慎重に着せ、きちんとそのファスナーを閉めている様子をしばしば見ることができます。それから、リンクから出た後、一人がもう一人を称賛する声がいつも聞こえるわけではありません。

 上に書いたように、エフゲニーと私は全世界に自分たちの相互の好意を見せてはいません。しかし、これは私たちが長い間の良好な関係を維持することを妨げませんでした。私たちの道が分かれた後も含めて。ジェーニャはまず議員をやり、それから芸能人をやり、今はコーチ業とスポーツビジネスをやっています。そのため、カメラの前でのキスは、真の誠実さと関係の強さを必ずしも証明するものではないと断言できます。

 とりわけ昔のことですが、私はコーチたちと彼らの生徒たちが、文字通り同じ鍋のスープを一緒に飲み、同じベッドで寝て、熱い飲み物も酒も一緒に飲んでいたケースを知っています。ジェーニャと私の関係には、これは完全に当てはまらないことでした。私は彼が自分にスポーツの日課を乱すのを許すことができ、許したということはよくわかっています。しかし、彼の全スポーツキャリアの間、私は一度もプルシェンコがワイングラスやたばこを持っているのを見たことがありません。

 コーチは第二の父だとよく言われます。両親の自分の子供に対する気持ちとコーチの生徒に対する気持ちはどちらも良いものですが、それでもやはり、私は違うものだと言います。そして、より成功した効率的な仕事にはこれらを混ぜ合わせるのが良いと考えています。

 エフゲニー・プルシェンコの肖像にもう一筆描き加えたいと思います。スポーツ職の高いレベルでは、コーチと選手の間にある程度の金銭関係が存在するということは秘密ではありません。この極めてデリケートな≪座標系≫での並外れた誠実さを私は強調します。

 エフゲニーのイメージは、彼を男として特徴付けるいくつかの線なしで完全にはなりません。彼の女の子への興味が私に見つかったのは、スペインの都市、ハカでの合宿のとき、フランスのコーチが私のところに来てこう言った時でした。≪昨日の夜、ジェーニャ(この時彼は13歳だったのを思い出します)が私の生徒のところに来てこう言ったんです。「僕の所においでよ。部屋には誰もいないよ。キスしよう!」≫ 今は多くの人が、男の子が女の子たちとキスしたがることはそんなに悪いことではないという私の意見に同意すると思います。

 当然のことながら、エフゲニーの人生には恋人、恋、結婚がありました。しかし、私は自信を持ってこう言うことができます。恋人にとって、彼は常にサポーターであり、アシスタントであり、友人であり、精神的なことも物質的なことも惜しみませんでした。現在、彼はヤナ・ルドコフスカヤと、幸せで建設的で成功した輝かしい結婚生活を送っています。人生において、そんなに何度も恋愛のトランプでジョーカーを引き当てることはできません。彼はこれに成功したのです。


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