ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

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ミーシン先生の本より、トリノ - 計画された勝利3

のつづきです。


 コンパルソリーの廃止と同様に、フィギュアスケートの著しい変更は、新ジャッジシステムの導入後に起こりました。しかもとても積極的に浸透していました。文字通り次のシーズン、新システムによるテスト試合が行われました。私たちの連盟とその当時の会長、ヴァレンチン・ニコラエヴィチ・ピセーエフは、相当な数の他国の連盟の代表者たちと共に、新システムを極度に敵視していて、とても長い間その導入に抵抗していたということを言わなければなりません。おそらく、有名なジョークのように、暴力が避けられないならば、リラックスして不快感を最小限に抑えようとしなければならなかったのでしょう。

 しかし、私たちの専門家だけが不満を表したわけではありません。新システムを採用することは、大部分の人にとってとても難しいことでした。本当の共産主義者が≪レーニンは生きた、レーニンは生きている、レーニンは生きるだろう!≫というスローガンを拒否するのと同様です。

 例えば、長年ISUの技術委員長を務めるソニア・ビアンケッティ・ガルバトは、大げさに、今はトリプルアクセルの時に鼻に指を突っ込んでも演技の独創性として加点をもらうことができるということに憤慨したと手紙に書きました。しかし、最も悲しいのは、感情の世界に理性のメスを入れようとする新ルールがコーチと選手の仕事の範囲を狭めたことでした。以前は、プログラムを作る際、私たちの前には芸術作品、一種の傑作を創り出すという課題がありましたが、今は、美学の見地からだけではなく数学の観点からそれぞれの動きを計算することを余儀なくされています:どのように、どこで、そして、ジャッジが何に加点することができるか、何に高いレベルを認めることができるか。


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