ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

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ミーシン先生の本より、トリノ - 計画された勝利5

随分さぼっていたのでどこまで訳していたのか忘れかけましたがのつづきです。


 しかし、これらの変更がもたらした肯定的な点もまた十分にありました。繋ぎのターンが急激に複雑になりました。試合は、イリーナがダブルの代わりにシングルサルコウを跳んだ際に、ピセーエフがイリーナ・ロドニナ - アレクサンドル・ザイツェフペアに技術点5.9と芸術点6.0を出したというような出来事が起こらないように保証されていました。ジャッジが選手の技術的なミスにあからさまに目を瞑ろうとはせず、2回転倒したスケーターはもうチャンピオンにはならないということを期待することができました。とはいえ、少し先の話ですが、ソチオリンピックでオリンピックメダルを獲得するのに転倒の数に制限がないということが証明されたことには触れておきましょう。

 当時、ジェーニナ(ジェーニャ)のキャリアの成長に影響を及ぼしたのは新ジャッジシステムではなくヤグディンの引退でした。競争、トップになる意欲には、後ろに並んで背後から息を吹きかけてくる人のことが念頭にあるものです。しかし、この状況は彼がフィギュアスケート界のトップに留まることを邪魔しませんでした。

 有名なジャーナリストで、飛び込みのオリンピックチャンピオンでもあるエレーナ・ヴァイツェホフスカヤは、フィギュアスケートについて書いている報道界で最も経験に富んだ人物と考えることができますが、かつて≪孤独な王≫と呼ばれる多くの資料を書きました。それにはあまり好意のある意味合いはありませんでした。この資料の基本的な考えは、プルシェンコは誰とも戦っておらず、そのため彼の勝利は意義をほとんど失くしているというものでした。しかし実際は、この考えはその当時の状況を正しく反映していませんでした。なぜならば、人間の活動のあらゆる分野において進歩を止めることはできないからです。とても強力な新世代の選手たちが成長しており、将来の猛攻を抑えることは非常に難しい事でした。ブライアン・ジュベールも、ステファン・ランビエールも、複雑な動きや多回転ジャンプを実現するための方法論的手法と技術的手法を既に身に付けていました。

 こんな状況が少なくとも2年間続きました。もしライバルの誰かの所にすべての成功要因が揃った場合、その選手はエフゲニーにとって大きな脅威になるということが明らかになりました。勝つことはずっと難しくなっていました。ブダペストで行われたヨーロッパ選手権で、大体においてジュベールより絶対的に強かったプルシェンコは彼に負けました。おそらく試合前にあまりにも多くのインタビューに答えたので少しぐったりしたのでしょう。スターにはそういうことがあります。しかし、同じ年の世界選手権で、ジェーニャは既に非常に集中できていたので現状を回復することができました。

ヨーロッパ選手権


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