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ミーシン先生の本より、バンクーバー - 歴史のジグザグ3

のつづきです。


 私はフィギュアスケートの全ての技術構成はピラミッドを描いていると言うのが好きです。その土台には、スケーティングの質、エッジワーク、回転したり、プログラムフィールドに要素を正しく配置する能力があります。しかし、このピラミッドのてっぺんには多回転ジャンプがあります。バンクーバーオリンピックでは、このピラミッドから、まるでてっぺんが切り離されたかのようでした。氷上で要素から要素へと移動する方法が、なぜか重要になりました。オリンピックの銀メダルを獲得したプルシェンコは、ライサチェクに負けたのではなく、その当時起こっていたフィギュアスケートの発展の基本路線におけるひずみに負けたと言うことができます。この路線は、行き詰まるため付録として終わったジグザグを作りました。そして今、私たちは、バンクーバーの後、世界選手権やオリンピックレベルの試合では、数種類の4回転ジャンプなしで、スケーターはメダルどころか最終グループに入ることさえ狙えないことがわかっています。

 もしジェーニャがバンクーバーオリンピックに勝っていたとしたら、世界のフィギュアスケート団体は、この4年間、男子シングルスケートは発展しておらず、せいぜい停滞状況だったということを、事実上、裏書きしなければならなかっただろうということを理解する必要があります。それにもかかわらず、この停滞は簡単に見分けられました。トリノの見本、プルシェンコの記録を4年後に破ったのは…2010年のヨーロッパ選手権に出場したプルシェンコ自身だったのですから。

 バンクーバーでのジャッジの決定に対する主な批判者の一人は、アレクセイ・ウルマノフと長年のライバルだった、カナダ人のエルビス・ストイコに他なりません。彼は素晴らしい達人で、4回転ジャンプを試合で必ず跳んでいた最初のスケーターたちの一人でした。オリンピックが終わった後、彼はすぐに単刀直入に、4回転ジャンプにチャレンジすらしていない選手の勝利は、フィギュアスケートを後退させ、最も難しい要素の拒絶に繋がると述べました。

 ソルトレイクシティオリンピックについての章を、私は≪勝利の敗北≫と名付けました。同じことがバンクーバーについても言えます。しかし、ヤグディンに敗北したことにより、ファンのみなさんが、その後10年以上ジェーニャを氷上で見守ることを可能にしたとするなら、カナダでの論争の余地があるジャッジの判断は、結局、フィギュアスケート全体にとっての勝利となりました。スケーターたちが挑戦するように、オリンピック終了後、ISUの技術委員会が著しく4回転ジャンプの価値を上げるほど、男子競技レベルの低下の危険性は明らかだったというわけです。

 バンクーバーの銀メダルは、フィギュアスケーターとしてのジェーニャの権威にも、惚れ込んだファンたちの彼への態度にも、少しも影響を及ぼしませんでした。ヤクートの宝石商がメダルを作成しました。表側の面には、ジャンプを跳んでいるエフゲニーが描かれ、裏側にはこう彫られています。≪勝利者エフゲニー・プルシェンコの卓越した技術に ロシア国民より≫。

 フィギュアスケート好きの人たちは、コーチの私のことも忘れていませんでした。私の賞のコレクションには、同じくヤクートの宝石商が作成した、ダイヤモンドで飾られた重さ380グラムの金メダルがあります。それにはこう書いてあります。≪勝利者のコーチへ≫。

国民メダル


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