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浅田真央 - 日本のフィギュアスケート史上最高のスケーターでタラソワの生徒

オリンピックで勝てなかった偉大なスケーターたちを取り上げた記事です。

長いので真央ちゃんのとこだけ訳します。

タイトルの3人以外では他に、カート・ブラウニング、ストイコ、ハビ、クワンのことが書いてありました。

www.sport-express.ru


メドベージェワ、スルツカヤ、コストナー。偉大でありながらオリンピックで勝てなかったスケーターは?

ルスタム・イマモフ

2021/04/27

(略)

 

浅田真央 - 日本のフィギュアスケート史上最高のスケーターでタラソワの生徒

日本人の浅田真央 - 超天才のジュニアが長く現役を続けた珍しい例です。彼女は12歳で既にトリプルアクセルをマスターし、14歳で全日本選手権2位になりましたが、翌年のオリンピックと同じく、彼女は世界選手権には参加しませんでした。全て、シニアレベルに移行するにはスケーターはその年の7月1日に15歳になっている必要があるというISUの厳しいルールのためです。真央の誕生日は9月25日で、オリンピックに出場するのに2カ月足りませんでした。そのオリンピックで彼女はメダルを獲得できたはずですが、もう1年ジュニアで戦わなければなりませんでした。その頃、彼女のキャリアを通しての最も大きなライバル - 韓国人のキム・ヨナが現れました。彼女たちの対立は、女子シングルスケート史で最も興味深いものの一つになるでしょう。

ヨナはプレゼンテーションとスケーティングを、浅田はプログラムの難しさを当てにしていました。3本のトリプルアクセルは今でも意味あるものですが、2010年にはこれは信じられない程の難しさでした。キムはカナダのオーサーのもとへ行き、浅田はロシアのコーチングスクールのレッスンを受けることにし、タチアナ・タラソワを選びました。2010年のバンクーバーオリンピックの前、浅田とヨナは交互に成功していました。オリンピックでは日本人は動揺してしまいましたが、韓国人は非の打ちどころがなく、真央は金を取り逃しました。4年後のソチオリンピックでは、浅田は勝つチャンスだけではなくメダルを獲得するチャンスまで失ってしまいました。失敗に終わったショートの後、彼女はぞっとする16位でした。フリーで彼女はアデリナ・ソトニコワとヨナに次ぐ3位でしたが、合計点では彼女は6位に過ぎませんでした。

真央は屈することなく、オリンピック後の世界選手権で、ユリア・リプニツカヤを破り勝ちます。彼女は全力をあげて平昌オリンピックの準備をしていましたが、健康上の問題のため、オリンピックの1年前の2017年にやむなく引退しました。2010年バンクーバーオリンピックの銀メダル、3つの金メダルを含む世界選手権の5つのメダル、四大陸選手権7回のチャンピオン(これはこの後に書いているイーラのと混ざっちゃったかな?正しくは3回ですね)、グランプリファイナル4度優勝、全日本選手権6度優勝。浅田がこれら全ての勝利をたった一つのオリンピックの勝利と交換したがるのか、興味があります。