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意識不明、事件、金銭の拒否:セメネンコ、恐ろしい転倒について

rsport.ria.ru


2022年6月2日

意識不明、事件、金銭の拒否:セメネンコ、恐ろしい転倒について

アナスタシア・パーニナ

 

北京オリンピックに出場したエフゲニー・セメネンコは、エフゲニー・プルシェンコのショーで頭に重傷を負った後初めて、恐ろしい転倒の原因、刑事上の問題、補償金の拒否について、リア・ノーヴァスチ・スポーツのインタビューに答えてくれました。

- まず、ジェーニャ、今の気分はどう?何かケガの後遺症は残っている?それとも全て完全に良くなった?

- 今は全て順調です。ありがとうございます。ケガをしてからもう十分時間が経ちました。

- ショーの時、どんなことが起こったのか話してくれる?自分で何が起こったのか理解できた?

- 転倒が起こり得た多くの原因が書かれていましたから、これ以上このテーマに戻ることがないように、この質問に自分で答えます。次のようなことが起こりました。ほとんどいつもアイスリンクには2本の青い線と1本の赤い線の目印があります。青い線の外側にはいつも、一番よく難しい要素が行われる区域がありますが、あの時はこの区域がありませんでした。僕が赤い線を通過してジャンプに入った時、トウループを跳ぶ場所が足りず、ジャンプが座っている観客の皆さんに当たるのがわかりました。それで、トウループに入るカーブを丸くすることにしました。そのせいで、傾斜が変わり、その傾斜のせいで、あんな転倒が起こりました。

- 照明や音は邪魔ではなかった?

- 参加した全てのショーで、僕はいつも4回転を跳んでいましたが、特殊な条件は考慮していました。ですから、それらの要因は転倒につながりません。

- 事故なの?

- はい、おそらく。誰も悪いことを計画してはいませんから。いつものリンクの大きさがあれば回避できたかといえば、おそらくできたでしょう。でも、僕が転ぶようにリンクが特別に狭くされたわけではないこともわかっています。誰も悪くありません。

- ショーの主催者たちとは平和的に別れたの?

- はい。ショーの主催者たちに対して事前に質問とコメントのことを知らせておきたいです。エフゲニー・プルシェンコとは知り合って随分経ちますし、彼を有名なスケーターとしてだけではなく、人間としても尊敬しています。負ったケガに関しての刑事上の問題については、僕が退院してすぐに要求しない申請を書いたのですぐに解決しました。ちなみに、これは僕の姿勢、僕の決定です。金銭のやり取りは何もありませんし、ショーの主催者たちからの援助の申し出はありましたが、僕が断りました。脳神経外科医たちが言っていたように"生きていてラッキー"でしたし、この嫌な事件のことは忘れないと。

- 転倒の後の痛みをものともせず、何としても立って滑り続けようとする多くのアスリートたちの心理を知っているけど、あなたもそんな感じだった?

- 最初は何も感じませんでした。意識がありませんでした。観客に対する責任は、全てのパフォーマンスにおいて常にありますが、あのショーには特に多くのファンの皆さんがいました。僕は生まれ故郷の街、ホームで出演するはずでしたから。意識が戻った時、起こったことで多くの人たちを心配させてしまったことを悔やみました。

- 観客やカメラからあなたの姿が見えなくなってからは何があった?

- 病院に向かっている間に、もう意識は戻っていました(笑)

- 自分に何が起こっているのかはっきりしなくてちょっと怖い時はあった?

- いいえ、そういうことはありませんでした。

-リンクに戻る時期や試験の準備のことを病院で最初に考えたのはいつ? 

- 病院に着いてすぐです(笑)

- 結局最初にリンクに戻ったのはいつ?

- 5月3日に最初にリンクに戻りました。練習は順調でしたが、リンクを出た後、何だか馴染みのない感覚がありました。次の練習ではもう全て順調でした。

- その後すぐ5月7日のショー"Favorite songs about the main thing"に出演することにしたのはなぜ?退院して最初の練習をしてから間もないのに。

- ショーへの出演を決めるのはかなり難しかったです。僕は悪い形でシーズンを終えたくないと主張しました。脳神経外科医たちは僕に賛成してくれ、許可をくれました。ちなみに、脳神経外科医たちの一人はうちの大学の大学院生で、僕たちは連絡を取り合っていましたし、医学生として僕を手術に立ち会わせてくれる約束もしていました。ただ、今のところ全然時間が足りないので、たぶん夏になると思います。しかし、アレクセイ・ニコラエヴィチやタチアナ・ニコラエヴナや母を説得しなければなりませんでした。僕には出演することが大事でした。こういうチャンスを僕にくれたイリヤ・アベルブフに感謝していますし、暖かく受け入れて下さった観客の皆さんに感謝しています。ショーの後、アレクセイ・ニコラエヴィチは電話で正しい決定だったと言ってくれました。

- ケガの後ずっとあなたへのサポートはものすごいけど、あなた自身も驚かされた?

- とても嬉しかったです。たくさんのプレゼントやとても多くのメッセージをもらいました。プレゼントは様々でした。記念品、ぬいぐるみ、似顔絵、アニメのプリントの服、写真と回復を願うメッセージのアルバム、ロシア、中国、日本、カナダ、オーストラリア、スウェーデン、スイス、ベルギー、イタリア、ベラルーシ、エストニア、ラトビア、メキシコのファンの皆さんからの手紙でいっぱいの箱。それに、ミュージシャンのファンの一人から僕のために書かれた曲まで頂きました。特にロシアと中国のファンクラブのファンの皆さんとリーダーのことをお話ししたいです。僕は皆さんに感謝しています!人々からもらった多くの前向きな気持ちも回復の助けになりました。

- あなたの所にたくさんのお見舞いが持ってこられて、あなたは全ての病室にそれらを配ったというのは本当?あなたのコーチがそのことを話してたけど。

- もちろん、全ての病室ではないです(笑)僕の所にはたくさんのフルーツやスイーツが持ってこられました。松の実を1キロ持ってきてくれた人もいました。それに、入院していた時にパスハが重なったので、とても綺麗で独創的な手作りのクリーチをもらいました。自分で全部食べ切れなかったので皆さんにご馳走しただけです。

- 当面の休暇や練習の計画を教えてくれる?

- 当面の目標はキスロヴォツクで実りのある合宿を過ごすことです。今僕はそこにいます。来シーズンのプログラムも決まり、フリーの振り付けは文字通り1週間前に終わりました。幸運にもイリヤ・アベルブフと仕事ができました。僕にとってこれは新しくて興味深い交流、協力です。新プログラムが観客の皆さんに気に入ってもらえることを願っています。ロシア選手の世界選手権出場が取り消された後、コーチたちや大学の事務局と相談し、今は学業休暇は取らないことにしました。僕はオリンピックに出場した時、授業を1カ月休みました。今は多くの力と時間を勉強に費やしています。大学は組織的なことでは僕に助力して下さっていますが、知識の質の面で大目に見てもらえることはありません。多くのことはもう取り戻し、合格しましたが、いくつかのテストがまだ残っています。試験は6月の終わりにあります。

- 合宿、練習、試験、それは全部わかったけど、休暇はどうするの、ジェーニャ?

- とても息抜きをしたいです。長い間夏季休暇がありませんでした。一昨年はパンデミック、去年は統一国家試験と大学入学。それで、もう3年完璧な休暇は取れていません。今シーズンはスポーツでも勉強でも張り詰めていました。7月は休暇を取りたいです。