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テンくんが亡くなってから一年間の出来事

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デニス・テンが亡くなった日から一年が経った

デニスは犯人たちを追い払おうとしたが、彼らは反撃し、スケーターは大腿部を刺された 

 

ちょうど一年前、有名なカザフスタンの選手、デニス・テンが亡くなりました。彼はアルマトイの通りで殺されました。Zakon.kzは、この悲劇の日と、その後起こったことを思い出します。

デニス・テンはカザフスタンのスケーターで、カザフスタン共和国のスポーツマスターの称号を持っています。2014年冬季オリンピックの銅メダリスト、2013年世界フィギュアスケート選手権の銀メダリスト、2015年世界選手権の銅メダリスト、2015年四大陸選手権のチャンピオン、第7回冬季アジア大会のチャンピオン、ISU主催の様々な試合の優勝者で、カザフスタン選手権5度のチャンピオンです。

2018年7月19日の午後、デニスはカフェにいました。午後3時頃、彼はそこを出て、バイセイトヴァ通りとクルマンガジー通りの交差点に停めた自分の車に向かいました。そこで彼は二人の男が彼の車のミラーを盗もうとしているのを見ました。デニスは彼らのところへ走って向かい、犯人を追い払おうとしましたが、彼らは反撃し、スケーターは大腿部を刺されてしまいました。

血まみれのデニスを見た通行人たちが救急車を呼び、15時23分に彼は意識不明の危篤状態で第12中央病院に運び込まれました。医者たちは彼を助けようとしましたが、17時30分、デニス・テンは出血多量のため亡くなりました。

7月21日、アルマトイのバルアン・ショラクスポーツセンターで彼の葬儀が行われました。何千人もの人々が英雄との別れにやって来ました。その中には他のスポーツ選手たち、ショー・ビジネスのスターたち、ミュージシャンたち、政治家たちが含まれていました。デニスの友人や親戚たちは、彼のことを親切でオープンな人間だったと回想し、亡くなる直前、彼はスポーツだけでなく音楽や映画の分野にも進出する計画を立て始めていて、自分の歌をレコーディングしていました。そして、この歌で偉大なカザフスタン選手が入った棺は見送られました。

その間、警察はデニスを殺害した犯人たちの捜査をしていました。7月20日、アルマトイ警察はデニス・テン殺害のあらゆる情報に対する報奨金を発表しました。犯人を捜すために大規模な作戦が実施されました。すぐに3人の容疑者が逮捕されました。アルマン・クダイベルゲノフ、ヌラリ・キヤソフ、そしてジャナル・トルィバエワです。

11月7日、アルマトイで 伝説的なスケーター、デニス・テンが生まれ育った家で、盛大なメモリアルボード設置セレモニーが行われました。

12月25日、彼の事件の予備審問が始まりました。アルマン・クダイベルゲノフとヌラリ・キヤソフは"事前共謀による共同強盗"と"事前共謀による共同殺人"の条項で起訴されました。ジャナル・トルィバエワは犯行についての隠匿行為を疑われており、裁判の時妊娠していました。

1月3日、裁判が行われ、検察官が起訴状を読み上げました。アルマン・クダイベルゲノフとヌラリ・キヤソフは、窃盗に関する罪は認めましたが、殺人と強盗の容疑には同意しませんでした。ジャナル・トルィバエワ被告は殺害現場にはいなかったと主張しました。

1月17日、 アルマトイの刑事専門地区間裁判所で、被告のアルマン・クダイベルゲノフ、ヌラリ・キヤソフ、そしてジャナル・トルィバエワは有罪判決を受けました。裁判所は、クダイベルゲノフとキヤソフに最高監視体制の刑事執行機関での18年の懲役刑を言い渡しました。ジャナル・トルィバエワには、カザフスタン共和国刑法第434条(犯罪の報告不履行)に基づき有罪とし、彼女には中程度監視体制の刑事執行機関での4年の懲役刑を言い渡しました。

チャンピオンの死は司法機関の仕事に対して社会に憤りを引き起こしました。 社会活動家たちは内務省の改革と大臣の辞任を要求し始めました。

1月31日と2月1日に、判決に対する控訴がありました。

被害者側は裁判の初めに2つの請願を申し出ました。1つ目は、事件の資料を検察官に送り、雇われた人々による事前合意の上での集団殺人という、カザフスタン共和国刑法の新しいより重い条項で有罪判決を下すために、個別にそれらを処理すること。2つ目は、第一審の裁判中に尋問されていない人たちを証人として裁判に呼ぶことですが、彼らの証言は審理のためにとても重要です。第一審で自分の兄弟に対しての証言を拒否したサドゥエフという有罪になったキヤソフの兄弟も含まれています。デニス・テンの母親、オクサナ・テンが言っているように、事件の資料には、有罪になったクダイベルゲノフが、犯行後5千ドルを要求したという情報があります。

被害者側は、第一審の判決は事件の実際の状況と合っていないという意見です。

アルマン・クダイベルゲノフとヌラリ・キヤソフの第一審の判決が変わることはありませんでした。 ジャナル・トルィバエワは重大犯罪初犯のため服役の待遇が変更されました。彼女は中程度監視の収容所から最小監視の収容所に移されました。

現在、彼の創作プロジェクトを実現しようとしているデニス・テンの財団が活動いています。2019年初め、カザフスタンの人々は、ハルィク・アリーナの名称をデニス・テンの名にちなんだものにする嘆願の著名を始めました。6月22日、クルマンガジー通りとバイセイトヴァ通りの角にデニス・テンの記念碑ができました。今年2月21日、デニスのドキュメンタリー映画が公開され、7月20日、アルマトイでデニス・テンの追悼でアイスショーが開催されます。