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ナウモフ:プルシェンコがオリンピックで負けた時がっかりした

トルガシェフ君マリニン君につづいて、ナウモフ君のインタビューです。

sport24.ru


≪プルシェンコがオリンピックでアメリカ人に負けた時、とてもがっかりした≫ アメリカに行った世界チャンピオンの息子、ナウモフ

全米ジュニアチャンピオンはSport24のインタビューに答えた。

 

アメリカ代表として出場している、ロシアにルーツを持つスケーターたちについてのシリーズは、これで終わりです。最後の主人公は、18歳のマキシム・ナウモフです。彼は今年の初めにジュニアのナショナルチャンピオンになりました。タリンで行われた世界ジュニアでも、マックスはアメリカ人最高位の5位になりました。

彼の両親はペアで一緒に出場していました。ヴァディム・ナウモフとエフゲニヤ・シシコワはサンクトペテルブルクのナタリア、リュドミラ・ヴェリコワのもとでトレーニングしていました。1994年、彼らの大きな成果が出ました。世界選手権の金メダルです。1995年に彼らは結婚し、1998年(引退後すぐ)に、アメリカに行きました。2001年に息子が生まれました。

マキシムはインタビューに父親と一緒に来ました。父親は、息子の答えに何度か大事な意見を付け足し、時々彼にロシア語の単語をこっそり教えていました。

- マキシム、世界ジュニアは君にとってどうだったか話してくれる?

- この大会に出るまではとても大変でした。この大会が僕にとって全てだったと言えます。本当に楽しかったです。結局のところ全てが上手くいったという風に、ここで全てが出来るとは思っていませんでした。そんなことは想像さえできませんでした。僕がこんなに良い順位を獲れるなんて、まだ信じられません。

僕は、できること全てを更にもっと良く見せるために、ここにやって来ました。他の人のことは考えず、ただできる限り滑り、できる全てのことをしようとしました。こんな結果は期待していませんでした。こんな風に滑ることができたことはとても嬉しいです。

- 初日の結果は10位でした。フリーでは4位になりました。ショートの後、どう調整したの?

- ショートプログラムの後に良い順位にいると、緊張して、フリーのことが心配になって、大変なことがあるということを知っています。でも僕は10位だったので、自分のために滑り、できることをやり、最終順位の心配はしていませんでした。ただ一つ一つ要素をやり、プログラム全体について考えることもありませんでした。少しずつ要素をこなし、全てが上手くいきました。

- 全体的にシーズンをどう評価する?君は怪我から復帰したけど。

- 大変でした。あまり良いスタートではありませんでしたが、試合ごとに僕たちはいくつかのことを付け足して、プログラムを複雑にしていきました。最初は3回転ジャンプのコンビネーションさえありませんでした。怪我の後に復帰するのはとても大変でした。痛みに耐えて何かをしないといけないこともありました。でも、日に日に全てが良くなってきて、それで僕はここにいます。確かに簡単なプロセスではありません。試合毎に、僕はますます自分に自信が持てるようになりました。試合ではとてもいい気分でした。

- 4回転を入れる予定はある?

- はい、入れないといけません。試合で何があるかわからなかったので、僕が今できることを全て見せようとしました。でも、もちろん4回転にも取り組んでいます。4回転なしではトップに立つことはできません。すぐに僕も入れます。

- 今はどの4回転が一番クリアに跳べそう?

- サルコウです。次がトウループ。あとは考えてみます。

- インスタグラムに英語で≪Team USA≫、ロシア語で≪Без кепки(キャップなし)≫って書いてたけど、どういう意味?

- 面白い話なんです。英語では≪No cap(嘘じゃないぜ)≫って言うんです。何かが間違いなく本当だ、誰かが間違いなく嘘をついていないし大げさに言っていない、という意味です。僕はわざとGoogle翻訳でこの表現を訳したんです。友達はこの意味を知っていて、僕たちはお互いにいつもこれを言い合っています。

- 世界チャンピオンの家族で暮らすのはどんな感じ?

- 自分へのより良いサポートを想像することさえできませんでした。これはユニークな状況です。説明するのも難しいです。両親は氷の上だけではなく、トレーニングでも助けてくれます。家でも。大体のことは全部助けてくれます。僕たちはチームです。いつも一緒に練習しています。両親はとても多くのことを知っていて、僕に自分たちの経験を教えてくれます。毎日、僕は少しずつ良くなろうとしています。僕の目標は、両親と同じレベルまで到達することです。

- 普段の生活について少し教えてくれる?勉強やトレーニングはどう?

- 12年生までやって、勉強は終えました。大学にはまだ行きません。一年考えます。フィギュアスケートに専念するために、勉強は少し遅らせることにしました。だから勉強に関しては休憩中です。

いつも6:45に起きています。リンクまで行くのに時間がかかります。朝のトレーニングは9時からです。1時間半ほど滑って、休憩して、それからスピンの練習をします。2回目のトレーニングは午後1時に始まり、約1時間やります。一日おきにフィジカルトレーニングをやり、残りの日は心理的な準備のための特別訓練があります。これにも約1時間半かかります。

- 家で一番よく使っているのは何語?

マキシム:ロシア語です。時々ちょっとロシア語と英語が混ざることがありますが、一番よく使うのはロシア語です。

ヴァディム・ナウモフ:マキシムは私と英語で話すと、私をいつもむっとさせます。その時、彼は私が不機嫌な事をわかっています。

マキシム:はい、父は不機嫌な時、僕と英語で話し始めます。でも、それは大抵とてもわかりやすいので、いつもロシア語で話すようにしています。僕はその方が良いです。

- ロシアでは、アメリカ代表のエントリーがロシアの代表みたいだと、冗談で言われていました。同じような冗談を言った?

- はい、もちろん。僕たちがこの世界ジュニアへの準備をしていた時、そしてだれが行くのかが発表された時、僕たちは最終的に誰が選ばれるのか、みんなと予想し合いました。それから、マリニン、トルガシェル、ナウモフというのを見て、こう言いました:≪よくわかった、全員ロシア人だ≫(笑)ロシア系アメリカ人です。

- ロシアに来たことはある?

- はい。初めて行ったのはとても小さかった時ですが、最近は新年に行きました。祖母と祖父といとこたちがいます。だから、ロシアにも家族がいます。

- どんな印象だった?

- とても気に入りました。ロシアは全てが違っています。ちょっと厳しいかもしれませんが、僕は好きです。僕たちはサンクトペテルブルクのリンクにも行き、みんながどんな風にトレーニングしているのかを見ました。これもとても良い経験でした。

地下鉄がとても好きです。アメリカではいつも車で移動しているので、地下鉄に乗るのが楽しいです。

- アメリカとロシアの生活には何か違いはあった?

- ロシアの人たちはとても親切だと思いますが、もしかしたら、彼らはそれをすぐには見せてくれないかもしれません。アメリカには笑っている人がたくさんいますが、みんながそうだとは言えません。ロシアではみんなが自分のことや自分の仕事に専念しているのが好きです。

- ロシアに住める?

- 住めると思います。小さい頃に一カ月ロシアで暮らしたことがあります。祖母と祖父と一緒にダーチャで。お風呂がありました。とっても良かったです。

- ロシアには国がスケーターたちをかなり支援するシステムがあります。スケート靴を買ったり、プログラムの振り付け資金を割り当てたり。あなたたちの所ではどう?

- 僕たちの所でも、もしアメリカの代表チームにいるなら、連盟からきちんとサポートしてもらえます。大きな違いはないと思います。

- 一般的に、アメリカではフィギュアスケートにお金がかかる?スケートをする余裕がある人は多い?

- 難しい質問ですね。多くの物が必要です。たとえばスケート靴とか。これは高いです。すぐにチームには入れません。経験を積み、滑り、リンク代やコーチ代を払わなければいけません。僕はとてもラッキーです。

ヴァディム・ナウモフ:余裕のある人はほんの一部です。これはとても大きな出費です。とても大きい。

- ロシアとは比較できませんか?

ヴァディム・ナウモフ:もちろん。年間で4万ドルになります。

マキシム:それは知らなかった。

- アメリカではフィギュアスケートは人気がある?

マキシム:20~25年前と比べたら、アメリカではフィギュアスケートの人気は落ちたと思います。当時はみんながテレビで観戦し、試合がテレビで放送されていました。今も放送はありますが、もちろんずっと少なくなりました。少なくとも、彼らが見せることができる最終グループだけ放送してくれます。人気は落ちましたが、それでも多くの人が、ネンサン・チェンができることを見たがっていると思います。彼のために、少し役に立つ色々な広告があります。でも、もちろん羽生とは比べられません。日本で彼は、どう言えばいいのかもわかりませんけど。

ヴァディム・ナウモフ:神。

マキシム:そう、神みたい。みんなタラ・リピンスキー、ミシェル・クワンは知っています。当時フィギュアスケートはとても人気があったと思います。

ヴァディム・ナウモフ:まだ彼らは高みにいます。ボイタノ、クワン。

マキシム:はい、黄金時代は彼らが競っていた時です。

- なぜ人気が落ちたんでしょうか?

ヴァディム・ナウモフ:連盟はABCと約2500万の巨額のテレビ契約を結んでいたんです。そしてABCは、ソルトレイクシティオリンピックでのペアのスキャンダルの後、連盟への支援をやめました。契約は終了し、試合が放送されなくなり、Stars On IceやChampions On Iceのような大きなツアーは、少しずつなくなっていきました。とても人気がありましたが、人々はあっさりと行くのをやめました。大きな騒ぎ、ナンシー・ケリガンとトーニャ・ハーディングのスキャンダルの後は、しばらくの間大スターがいませんでした。これは興味深いことです。

マキシム:ドラマ、噂。

ヴァディム・ナウモフ:波があります。

- 男子シングルではロシアとアメリカ、どちらが競争が激しいと思う?

- アメリカの方が代表になるのが簡単だと思います。ロシアは大変です。すごい男の子たちみんなが高いレベルにいて、生き残るのは大変です。トゥトベリーゼのところに、次々次々と、そういう男の子たちと女の子たちが現れているのを知っています。そして、ある人はもう一人より優れています。彼らの所はいつもそうです。僕たちの所は、全てが色々な地方に散らばっていて、もっと個人的な活動です。でも、やはり僕たちの所でも簡単ではありません。とても大きな違いはありませんが、それでもやはりアメリカでは少し簡単です。

- 女子シングルで革命を起こしているロシアの女の子たちについてどう思う?

- もちろん、衝撃的です。おっしゃったように革命だと思います。実際、3年前は女の子たちは3-3のコンビネーションをやっていて、それが一番すごかった。でも今はトリプルアクセルや4回転。もし3年前に誰かがこのことを言っても、誰も信じなかったでしょう。これはスポーツのとても素晴らしい進歩だと思います。アメリカにもアリサ・リュウがいます。同じようにとても小さいですが、とてもとても強いです。アメリカから競争相手が出てくると思いますよ。

- フィギュアスケートで、君が子供の頃インスピレーションを感じた人、アイドルは誰?演技を見てた?

- 難しい質問です。僕はとてもたくさん見ているので。小さい頃はYouTubeでいつも何かを見ていました。そして今も同じようにみんなを見ています。僕はみんなの色々なところが好きだったので、それぞれの選手からより良い所を取り入れました。アレクセイ・ヤグディンなら、とても高いジャンプ。なんてすごいアクセルだったか!

エフゲニー・プルシェンコはいつも見ていました。彼のジャンプ、安定性。彼もすごかった。髙橋大輔からは、彼がどんな風に滑っているか、どんな風にスケートを操っているのかを見ていました。僕はみんなを見て、それぞれから、気に入ったちょっとしたことを取り入れていました。ネイサン・チェン、羽生結弦からも同じです。僕は全部よく観察していました。でも、エフゲニー・プルシェンコのことはいつも大好きだったと思います。小さい頃、いつも彼を応援していました。2010年にとてもがっかりしたことを覚えています。あれは僕にとってつらい事でした。

- でも、アメリカ人が勝ったよね。

- はい、そのへんが問題です。とても苦しかった。エヴァン・ライサチェクは4回転を跳びませんでした。でもプルシェンコはあの時全部やったのを覚えています。彼のフリーの演技は危なかったけど、彼はそれでも全部やって、全部決めて、全部回り、彼が一番強いことを見せました。でも当時、ほんの少しシステムが変わりGOEが出るようになりました。僕は最後から2番目のジャンプを決して忘れません。トリプルルッツだったと思います。彼は軸からほぼ垂直に跳び上がり、決めるのはとても不可能なジャンプでした。でも彼は成功させました。そしてその後にダブルトウループをつけました。僕は大喜びでした。

- あのオリンピックはフェアじゃなかったと思ってるの?

- It was right, but it wasn’t right(正しかったけど正しくなかった - Sport24)。彼らがしたことはわかっていますが、とても勝って欲しかった。もちろんこれはもう政治的なことです。

- エフゲニーやエヴァンと会ったことがある?

- いいえ、一度も。もちろんとても会いたいですけど。ネイサンとは全米選手権でほんの少し話しました。彼は僕と同じ更衣室で、僕はこう言いました。≪ワォ!僕がここに来るなんて全然知らなかった≫。今は少し連絡を取り合っています。

- 君は何%がロシア人で、何%がアメリカ人?

- 難しい質問ですね。50/50だと思います。僕の心の中にはいつもロシアがありますし、僕の家族はロシア人です。ロシア人よりアメリカ人だとは決して言えないと思います。僕はこれで育ちました。


プルのバンクーバー、私は3Aの方を覚えてましたが、ナウモフ君はルッツなのね!😊(細かいことを言うとルッツのコンビネーションは最後から2番目じゃなくて3番目だったけど🤭)

タンゴ・アモーレは腕をビシッと下に振り下ろす振り付けが好きなんですが、この前、PIWでサーシャ君が同じことやってて感動しました😆