ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

フィギュアスケート関連のロシア語記事や動画の翻訳が中心のブログです。

ミーシン先生の本より、ソチ - 黒海のアイスバーグ1

だーいぶ間が空きましたが、プルの誕生日ということで、ちょっとまた手をつけてみました。

バンクーバー - 歴史のジグザグ4のつづきです。


 プルシェンコが参加したそれぞれのオリンピックに、正確に形容する言葉を当てるとしたら、ソチオリンピックは≪最も痛みを伴う≫になるでしょう。文字通りの意味と転義で。

 ケガはそれまでにも度々私たちの準備計画の邪魔をしていましたが、バンクーバーとソチの間はそれがあまりにも多過ぎました。ジェーニャのスポーツでのキャリアは、かなり長く充実したものでした。4回のオリンピックでメダルを獲得して去る - 近い将来彼の記録が打ち破られるとは思いません!こういうことが最後に起こったのはほぼ100年前で、その頃は選手たちが要求されていたものは完全に別の物であり、競争のレベルは比較になりません。前世紀の20年代には、スケーターは40歳でオリンピックチャンピオンになれましたが、今は25歳の男子選手でさえ、時々博物館の展示品のように見られます。そして、トップレベルでスケートを続けている20代の女子は珍しくなりました。

 訓練の限界を超えた年齢でのアスリートの練習は、いつも最も入念なデータを使ったものです。そのデータは、最も思いがけない瞬間に自分のもろさを見せてしまうかもしれません。 全て途方もない努力が必要だったのがつい昨日のように思えます。ジェーニャともそうでした:彼はシェフィールドのヨーロッパ選手権で見事に優勝し、フリープログラムでは自分のレコードを更新しました。コメンテーターのアレクサンドル・グリシンは、その時、プルシェンコは2012年の世界選手権でパトリック・チャンと戦えると言いました。そしてジェーニャは心の中では金メダルのための戦いへ向けての準備ができていました。

プル


つづき →