ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

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ザギちゃんのインタビュー3

ザギちゃんのインタビュー1

ザギちゃんのインタビュー2

の続きです。 


[p.33の最後]

- あなたは絶対に争い事をしない優しい人で、いつもとてもポジティブだと言われているけど、その通り?

- 私は自分で自分のことは評価できません。私もみんなと同じように色々な時があり、気分次第で大きく変わります。例えば、気分が良くない時は十分に練習に打ち込むことができません。良い気分で練習に来た時は、全てのジャンプやコンビネーションが簡単に最初から決まることもあります。逆に、良くないことばかりで何も上手くいかない日もあります。自分の欲望のままに行動しないようにしていますが、それがいつも上手くいくわけではありません。

[p.34]

- その状態から抜け出すために、何があなたの気分を回復してくれる?

- 色々あります。良い映画を見たり、ペットたちと遊んだり。練習で他の生徒の誰かがアネクドートを言ったりすることがあって、周りが今より楽しい雰囲気になることもあります。エテリ・ゲオルギエヴナも、あなたが長い間すごく笑ってしまうような冗談を時々言うことがあります。

- 失敗はすぐに忘れてしまう?

- 子供の頃は失敗しても悩みませんでした。どういうわけか全てがずっと簡単でした。上手く演技できないと母に怒られましたが。その後、ミラノの世界選手権までは大きな失敗はなかったので。でもミラノの後は立ち直るのに長い時間がかかりました。

- 今シーズンも、まるで雲の上から誰かが常にあなたが何ができるのかを試しているみたいに、ずっと一番成功できていたわけではなかったけど、「ああ、なんで私はまたこんな試練を与えられなければならないの?」と思うことはなかった?

- いいえ、私は自分と闘っていました。"もしあなたが大変なら、もっと力を尽くす必要があるし、立ち上がって先に進む必要があります。決して、何も上手くいかないと言ったり、あなたがどんなに大変かを見せる必要はありません。"と、コーチが教えてくれたように、私は自分をコントロールしようとしました。私にとっては今シーズンを良い形で終えることはとても重要でした。人生は何が起こるかわからない、とても難しいことが起こることもあります。全てを"かみ砕ける"こと、そして先に進むことができるということが大事だと、今、私は分かっています。埼玉で勝った時、私はまず自分自身にそれができることを証明しました。

- イジェフスクの家は恋しい? 

- 以前はとても恋しかったけど、今は前ほどではありません。私にとって一番難しかったのは両親と離れることでした。私はいつも家にいる子でした。だから今は、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさんたちの所を訪ねると、喜びで胸がいっぱいになり、とても嬉しい気持ちになります。そこにある全てのものに親しみがあります。スケートリンク、学校…。イジェフスクは親しみのある場所で、私の子供時代です…。

[p.35]

- モスクワに馴染むのは簡単じゃなかった? 

- 私たちがここに引っ越してきたばかりの頃は、私はモスクワが怖かったです。冬で、暗くて、巨大で殺風景な街、大勢の人たち。でも、その後、ここには多くの美しい場所、公園や広場があることが分かりました。今、モスクワは私に全く別の感情を呼び起こします。私はモスクワのことが好きになりました。旅行から帰って来た時、まるでここで生まれたかのように、イジェフスクで感じるのと同じような感覚になります。

- マサルと散歩していると、きっとサインの列ができるんじゃない?

- そうですね、みんなマサルに注目しています。「あら、この犬ってチャンネル1に出ていた犬じゃない?」マサルに挨拶して少し遊んで、その後になって、たぶん気付いてくれます。「あら、それはそうと、あなたはアリーナ・ザギトワじゃないの?」って。

[p.36]

- マサルも最近大会で良い成績を取ったんでしょう?

- はい、展覧会で一位になったんです!彼女はすごく褒められました。おそらく母が試合のために私の調子を整えてくれたように、この会のために私たちは彼女の調子を整えました。きっとそれが助けになり、彼女も良い所を見せてくれたんだと思います。

- この犬種が好きなのは子供の頃からなんでしょう?

- 私は映画の「ハチコー」(「ハチ公物語」をリメイクしたアメリカ映画の「HACHI 約束の犬」のこと)を見るのがとても好きでした。何度も見直して、毎回大声で泣いていました。お母さんとお父さんに同じ種類の犬を買ってと頼みましたが、両親は当然許可してくれませんでした。両親からはこう説明されました。「これは難しい犬種で、上手に世話をしてあげる必要があるけど、あなたはまだ小さいでしょう。」と。さらに、その時私はちょうどエテリ・ゲオルギエヴナのグループのテストのためにモスクワへ出発してしまったんです。

- 子供の頃、他には夢があった?

- たくさんありました。例えば、モスクワに来たばかりの頃、ノヴォゴルスクの最初の合宿に行った時には、練習の合間に休める普通のベットがあればいいなと思っていました。

- つまり?

- 私はその時まだ代表チームに入っていなかったので、ノヴォゴルスクのホテルに滞在することはできませんでした。でも、私とおばあちゃんが部屋を借りていたモスクワまで帰るには時間が足りなかったので、練習の合間はホールのソファーで休んでいました。ソファーはとても小さくて、足が収まらなくてはみ出していました。その後、代表チームに入ってからは、既に全ての夢や望みはもっとスケートに関係があることになっていました。

エテリ・ゲオルギエヴナが私に、全てのジャンプをプログラムの後半に跳ぶように言った時、私はショックでした。「こんなこと不可能です!私にはできません。何のためにやるんですか!」というような、何か取りとめのないことさえコーチに言い始めていたと思います。私はその時本当にどうしたらできるのかわかりませんでした。その時私は3回転もできなかったんですから。でも、きっとエテリ・ゲオルギエヴナは既にその時私を信じてくれていたんです。そのことを躊躇せずに話してくれましたから。

- コーチのどこがいい?

- 何よりもまず、粘り強い性格です。もっと好きなのは女性らしさです。彼女はいつも美しく、綺麗な服を着ていて、そういう所も見習いたいです。世界選手権の前日、私のためにしてくれたことで、私は先生をとても尊敬しています。私はずっと「したくない」「しない」「放っておいて」という気持ちでした。両親の言う事もコーチたちが言うことも聞いていませんでした。練習は何も上手くいかなくて、私はこの状態から抜け出すことはもう出来ないんじゃないかと考え始めました。私は戦うのに疲れてしまって、ある時、諦めてしまいました…。

- まさかそんな気持ちで終わるつもりだったの?

- 結局は違いました。大切なものを失いそうだと感じると、それが惜しくなってきます。おそらく私はそのことを理解する必要があったんです。

- 時には良いキックのおかげで私たちは翼を見つけることがあると言われていますね。

- はい。おそらくまさにその"キック"が私には必要だったんです。説得してくれたり、頭をなでたりしてくれることは私には合っていません。エテリ・ゲオルギエヴナはとても賢明なコーチで、押さなければならない時と引かなければならない時をよく分かっています。コーチは「だめ!行くわよ!」と言いました。そして私はコーチが自分の主張を押し通してくれたことにとても感謝しています。

- アリーナ、サビーナのスケートはどう?

- まだあの子は全て上手くできるわけではありませんが、まだ小さいので時間があります。自分のことを思い出すと、私も11歳の時は2回転を一つ跳ぶこともできませんでした。12歳になってダブルアクセルだけ安定してできるようになりました。

[p.37]

はい。おそらくまさにその"キック"が私には必要だったんです。説得してくれたり、頭をなでたりしてくれることは私には合っていません。


エテリ先生の冗談…どんなのだ?

次で終わりです。