ただのフィギュアスケートファンのロシア語翻訳

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ミーシン先生の本より、ソチ - 黒海のアイスバーグ4

のつづきです。


 …今にして思えば、私たちの連盟の重要な決定を思い出し、様々な状況での≪スポーツの原則≫という概念の解釈の多面性に注目するのは興味深い事です。2013年には、それは、≪コフトゥンはプルシェンコに40点差、メンショフに3.86点差で負けて5位だが、同じチームだし同じことだ、大丈夫≫と、自信満々で解釈されました。そして、2019年には、この同じスポーツの原則は、自慢げにこう解釈されました。ある女子スケーターが、ジャッジの判断で別の選手に1.71点差で勝ちましたが、何の批判も受けませんでした。つまり、世界選手権に相応しい順位だということです。

 難しい調整活動へのマキシムの生まれつきの才能を信じ、彼が元のコーチ、エレーナ・ブイアノワのもとへ戻った後、彼の≪勝利≫のコーチ探しが終わったことをみんなが望んでいます。私は2019年シーズンの試合で、彼のトレーニングを見ましたが、コフトゥンはとても軽快でダイナミックに見えました。しかし、≪スポーツの原則≫が彼を引きずり込んだキャリアの大変動の余波は、スポーツキャリアを終える間近まで彼に影響しました。

 エレーナ・ゲルマノヴナ(ブイアノワ)その人、つまり、傑出したアスリートだった人で、傑出した指導者になることができたコーチたちに関してですが、私はこの点で、彼女は最も優れていて最も強いと思っています。

 アスリートの頃のエレーナ・ゲルマノヴナは、アメリカ人たちが言うように、アイスクラッカー - 氷を≪壊す人≫でした。彼女が達成したことはいくつかありますが、その全てに≪初めて≫という言葉が付いています。

 - 初めてショートプログラムで3回転ジャンプを跳んだ女子

 - 初めてフリープログラムで3本の3回転ジャンプを跳んだ女子

 - 初めて2回転フリップ - 3回転トウループのコンビネーションを跳んだ女子

 - 初めて世界選手権で3回転ループを跳んだ女子

ブイアノワ

 こういうことを言って読者の皆さんが私を許して下さると良いのですが、ロシアの女子シングルスケートは、彼女が出てくるまで、私たちのスポーツの暗部でした。女子は世界のトップ10以下、または20以下でした。

 コーチになり、エレーナ・ゲルマノヴナは、静かに、謙虚に、立派に、再び初めてになりました。初めてのロシア女子オリンピックチャンピオン、アデリナ・ソトニコワのコーチとして。

 プレオリンピックシーズンの話に戻りましょう。公正を期して言うならば、上記で触れられなかった他のロシア男子シングル選手たちも、世界レベルのスケートは披露していませんでした。まず、オリンピックシーズン、ロシアの男子シングルスケートの枠は1つでした。もし、オリンピックに新種目の団体戦ができなかったなら、これは批判されなかったことでしょう。これは、1人しかいないロシアからの出場者が、同じオリンピック期間中に、4度自分のプログラムを滑るという、まだ1人のスケーターもやり遂げていないことをしなければならなくなったということでした。

 オリンピックの主な優勝候補たちの中に、自分の丈夫さを確かめようとする選手はいませんでした。羽生とチャンは、ショートプログラムだけ滑り、その後交代しました。しかも、彼らはジェーニャより10歳も若かった。ロシアはこの可能性を奪われました。それでも、団体戦出場者がケガをした場合、個人戦には別のスケーターが出場できる、という1つの選択肢が残っていましたが。

 2013年12月のロシア選手権で、プルシェンコは負けました。ショートプログラムを素晴らしく滑り終え、次の日、フリーで、彼はすぐに彼らしくないいくつかのミスをしてしまいました。試合後のインタビューで、ジェーニャはもちろん最高の心理状態ではありませんでした。そして、ルールを最後まで把握していなかったため、個人試合に出る力が自分にあるかどうか確信がない、というフレーズをうっかり言ってしまいました。


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